日中小説 「吾道」 立ち読み版 Chapter 3 − 文芸作品 −
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出発当日。リビングにあるお気に入りの天窓から、夏林は空を見た。
「ゲゲーッ」 あいにくの雨。遠くから母が、 「ゲゲゲのゲーッ」 その返しが、やけにムカついた。 「最悪! 行く気なくなるぅ」 「昨日てるてる坊主、作るの忘れたからよ」 「この歳でそんなもん作れるかって」 夏林はふて腐れて呟つぶやいた。 「どうせ、電車乗って、飛行機乗って、向こう着いたら自動車が来てるんだから。雨なんて関係ないのよ」 「折角の日なのに」 憎ったらしい空をもう一度見つめた。いつもより天窓が大きく感じた。 「それに、北京はきっと晴れてるわよ。この雨、北京から来てるんだし」 なるほど論理的だ。 「あ、そっか」 「そうよ」 「お母さん、さえてるぅ~」 「でへへっ」 「でへへって……」 母と二人で初めての海外旅行。ワクワク感が一気に高まってきた。 「ほら、早く食べなさい」 母が用意してくれた目玉焼きと薄切りハムがのったトーストは、香ばしくてコーヒーとよくあった。 夏林が食事をしている間、母は食事もせずに、荷物の最終チェックをしていた。今日の母はいつもよりお洒落をしている。しっかりお化粧もしている。若干中年太り気味だが、背も高く顔が小さい母は、こうして見ると、どこかの商社のキャリアウーマンの様に見える。いや、確かに保育士のキャリアを持つウーマンなのだが。 「パスポート持ったわよね?」 「持った!」 夏林はトーストを頬張りながら答えた。 「どこに入れたの?」 「もう、何度も見せたでしょ」 夏林はコーヒーを口に流し込むと、手荷物用のリュックの中からゴソゴソとパスポートを探った。 「そんな奥にしまってたらダメよ。もっと取り出しやすいところにしなきゃ」 「取り出しやすいって事は、盗まれやすいって事よ。お母さん、日本では良いけど、海外へ行くときは、念には念を入れないと」 それにしても、なかなか取り出せない。母の言う事も一理ある。 やっと、手先にそれらしきものが触れた。 「あった、ほらね」 夏林はパスポートを何気なしに開いた。 母も自分のパスポートを広げて、隣へ並べてきた。 夏林と母は、顔が全く似ていない。 けれども、パスポートには、夏林が日本国民である事を証明する内容と、確かに母の娘である事が、しっかりと刻まれていた。親子なんだから当たり前かっ。 でも当たり前って一番怖い。父が亡くなった時、その当たり前が、ある日突然ひっくり返った。父は傍にいてくれて当たり前だと思っていた。当たり前なんてこの世では長く続かない。 夏林は母の子供で日本人。急にパスポートが愛おしくなって、ぎゅっと握り締めた。 「お母さんのも私が持っといてあげる」 「どうしたのよ、急に」 「いいから」 夏林は、母のパスポートと自分のを重ねて一つにし、大事にリュックの中へしまった。 |
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【つづく】
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![虹路 KOMICHI [日中合作舞台芸術・映像作品]](http://www.rainbowroot.com/wp-content/themes/V5-theme/images/sidenote01.png)
