中国 vol.1 ~上海ドリーム~ − 日中文化サイト虹路(こみち) −
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言葉では語りつくせない程多くの思い出が詰まった2年半の中国・上海留学。中国は私に夢を与えてくれた国。
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2004年2月。弱冠20歳だった私は一人上海に降り立ちました。希望に満ちてやって来たものの、小さな芸術大学の構内にある寮で暮らし始めると、口からついて出てくる言葉は小言ばかり。エアコン故障、水圧弱い、人間多すぎ、車のクラクションうるさい、中国語怖い、日本料理食べたい……日本に帰りたい……。上海到着1日目にして、すでにホームシックに。そんな私を救ってくれたのは、紛れもない中国の人々でした。
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中国語の先生・趙艶利先生。言葉も分からず、一人寂しく寮の部屋にいた私に、「お腹空いていると思って」と、カップラーメンとパンと水を買ってきてくれました。未だに、あの時の先生の優しさは忘れられません。それから数週間後、落ち込むのも早ければ立ち直るのも早い私は(単純!)、すっかり上海の暮らしにも慣れ、友人もでき、楽しく過ごし始めていました。そんな時期、「明子は上海で何をしたいの?」と問い質してきてくれたのも趙先生でした。「せっかく留学しているのだから、何か具体的な目標を見つけないと」
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中国最大の経済都市・上海には、ビジネスの成功を夢見て、世界中から人が集まります。活気溢れる戦いの街では、向上心のない人は気付かぬうちにその渦に飲み込まれるか、弾き飛ばされてしまいそうな勢いがありました。そのスピードを肌で感じつつ、私は自分にできる事を試行錯誤で探し始めました。
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半年後、大学の留学生クラスから中国人本科生クラスに編入。中国屈指のエリート芸術家の卵達と舞台芸術を学びました。外国人は私一人だった為か、先生もクラスメートもとても親切に接してくれ、何の不自由もなくクラスに溶け込んでいけました。
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また、上海以外の土地にも積極的に足を運び、中国人の友人を沢山作りました。異文化のギャップに苦しみながらも、その奥に確かに存在する人としての感情に国境はない事を少しずつ確信していきました。
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一年後、帰国を延長し、私をこれ程までに温かく迎えてくれた中国と中国の人々への感謝の思いを込めて「日中友好ミュージカル」の上演を計画。一年の準備期間を経て、日本と中国の仲間と共に取り組み続けたミュージカルは無事成功。こうして私は、周囲の人々に寄り添いながら、しっかりと上海ドリームを握り締める事ができていました。
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数々の素敵な出会いの中で、目に見えない程大きな財産を心に残してくれた中国留学。中国には「有志者事竟成(志あれば事真に成る)」ということわざがあります。上海で掴んだ夢は第一歩となりましたが、私の夢はまだまだこれから。 中国で出会った人々の優しさと強さを胸に、一歩一歩前進していこうと思います。
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![虹路 KOMICHI [日中合作舞台芸術・映像作品]](http://www.rainbowroot.com/wp-content/themes/V5-theme/images/sidenote01.png)
